さちこさんのご主人は酒乱だった。
お酒の飲み過ぎが災いして、昨年の秋に他界された。
さちこさんのご主人は、とても腕のいい大工さんだった。
しかし、不景気のあおりを受けて、数年前から仕事がどんどんと減ってしまい、亡くなる1年ほど前からは、ほぼ失業状態だった。
もともとお酒が大好きだけど強くはなかったご主人。
普段は、行きつけのお店の片隅で1合のお酒を、寡黙に、でも、とても嬉しそうに飲んで帰宅していた。
ただ、年に一度か二度くらい飲み過ぎて、同僚に抱えられながら帰宅することがあったという。
しかし、仕事がほとんど無くなってしまってからは、ご主人のお酒の飲み方が急変した。
毎日、家で酒を飲んでは暴れるようになった。
そのたびに、さちこさんのことを罵ったり、殴ることも珍しくはなかった。
見かねた近所の人たちは、さちこさんに子供がいなかったこともあり、すぐにでも別れるようにと何度も勧めた。
ところが、さちこさんは別れるどころか、「あの人はとても優しい人なんです」「仕事が上手くいかなくて辛いだけなんです」そう言って、毎日、パートの仕事から帰宅すると、真っ先にご主人の食事の支度をし、そしてお酒の用意も欠かさなかった。
近所の人たちは、そんなさちこさんのことをまったく理解することができなかった。
何で?そこまでして尽くさなければならないのかと・・・。
そんなご主人が昨秋、他界された。
急性肝不全だった。
さちこさんの落胆ぶりは激しかった。
しかし、近所の人たちは、これでさちこさんが救われると、皆一様に胸をなでおろしていた。
葬式を終え、四十九日の法要も終えた。
ところが、さちこさんが一向に元気にならない。
いつもふさぎ込み、涙を流す姿を何人もの人が目撃した。
たまりかねた近所の人たちが、さちこさんを元気づけようと、食事に招待をした。
そして、それとなく今の心境を聞いてみた。
さちこさんはすぐに涙ぐみながら、静かに話し始めた。
「私は、生まれながらにして右足が少し不自由なんです。
子供の頃、そのことをからかわれて、とても辛い思いをしました。
大人になっても足のことがコンプレックスで、
友達もなかなか作ることができませんでした。
でも、主人は、私と出会ってお付き合いを始めて、
結婚をして、二人で暮らすようになって、 そして亡くなるまで、
私の足のことをただの一度たりとも口にしたことがなかったんです。
主人はとってもとっても優しい人だったんです」
そう言ってさちこさんは泣き崩れてしまった。
近所の人たちは何も言うことができなかった。
溢れてくる涙を抑えることもできなかった。
人それぞれにしあわせの定義がある。
でも、求めることに意識を向けすぎて、思い通りに与えてもらえないことに、不幸を感じてしまう人がとても多い気がする。
求めることに意識を向けすぎて、とても大切なものを与えてもらっているのに気がつかなくなって、不幸を感じてしまうとは、
とても悲しい・・・。
たったひとつでも、とてもとても大切なものを、いつも変わらず与えてもらっていることに気が付くことができたとき、しあわせな人生がまた始まるのかもしれない。